信貴山と久秀

                       

                            信貴山城   

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信貴山城跡を訪ねて

信貴山山門付近
  
       生駒山系南端にある昔から「信貴山の毘沙門さん」  
      で親しまれています。ここの山頂に戦国時代の山城で 
      信貴山城の史跡があります。最後の城主であった  
      残忍非情の別名を持つ戦国武将 松永秀久最後の地
      と言われているところです。 
  
  
   信貴山(しきさん)と松永久秀(信貴山城を訪ねて)  
   
    大阪府と奈良県の境界国定公園の生駒山系の南端にある信貴山は、古代から戦略上の 
   要衝の地として、天智天皇の頃から砦があったそうで、東は大和平野、西は大阪平野と山を 
   県境として見渡せる位置にあります。 
  
   聖徳太子が、仏敵 物部守屋討伐の祈願をされた時、虎をお供に毘沙門天王が現れた 
   といわれ、「信ずるべき貴き山」として信貴山と言われるようになったそうです。
  
   この信貴山には「毘沙門天の出現を得て創建されたと言われる。虎の寺「朝護孫子寺」別名 
   「信貴山の毘沙門さん」として、四季折々たくさんの方が参拝に訪れています。昭和後期から  
   毘沙門信仰の隆盛となり、多くの建造物が増築され、本山を中心に見るだけでも、1日かかる 
   ほど広範囲に建造物が存在します。 

    目指す信貴山城跡の史跡は、本堂左側の水汲み場から山の山頂にある、空鉢堂の場所に
   あります。空鉢堂にお参りするには、水汲み場から小さいバケツで水を入れて、参拝します。
   赤い鳥居を約260本くらいくぐりながら木々の中の参道を20分くらい登ります。

    信仰信のない私でも、鳥居を潜りながら参拝道を登ると、時たま行きかう参拝者に思わず 
   挨拶してしまいます。山頂の空鉢堂から10mほど下がった所に、信貴山城跡との石柱が 
   ありました。本当に何も残ってない。わずかに、土塁と堀切が残っているだけで、昔ここに  
   天守櫓があったのかと思うほどです。
   ここが、戦国梟雄(きゅうゆう)と言われた松永久秀最後の地だそうです。 
 
   戦国の武将 織田信長が、徳川家康に松永久秀のことを  
   「この人物 並の者がなし得ないことを3つまでした男である」と話したそうです。 
 
   その一つ目は主家 三好一族の暗殺と謀略、 二つめは足利将軍義輝を暗殺 
   三つ目は奈良東大寺大仏殿を焼き払ったこと 
 
    久秀は、大和国を手中にした後、この信貴山の廃城同然の城を大改築して天守櫓を築き、
   これが日本の城が天守閣を築くきっかけの一つになったといわれます。
   落城のとき久秀は所有していた、名器 「平蜘蛛の茶釜」が信長に渡るのを拒んで 
   茶釜を道連れに爆死したと言われます。 
 
    今回、信貴山に行って知ったことですが、大仏殿を焼き討ちした日が10月10日で久秀最後の 
   月日が同じだそうで、不思議なことです。又戦国武将としては、長寿であり、残忍で非情な 
   人物が茶・歌にも通じており、築造技術も優れていたそうです。
 
   古今東西、歴史の転換期に、一般の人が予想しない人物が頭角をあらわし既成の事柄を 
   破壊して表舞台から消えていく、そんな一人なのだろうか。
 
    当時、久秀の死を聞いた領民は、酒盛りをして喜びあったそうです。民にとっては、存在して 
   欲しくない国主であった事は事実のようだ。 
 
    信貴山城跡から参拝道を降りながら見える、寺の建物が木々の紅葉に染まり美しさもあってか 
   人間が作り上げた建造物も、時とともに、自然の復元力は消してしまう。
   人の一生も自然の前ではひと時のことかな・・・そんなことを思いながら家路着きました。 
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